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長野県木祖村のリサイクルショップの情報が登録されていません。

まもなく紅葉の見ごろを迎える − 平成の名水百選、長野県木祖村の水木沢 皆さん、この連休、いかがお過ごしですか? 秋晴れの中、ハイキングやトレッキングを楽しまれている方も多いと思います。木曽川の源流の里、長野県木曽郡木祖村でも、木の葉が美しく色づき、この週末から月末にかけてが紅葉のピークだそうです。素朴で神秘的な木祖村の大自然。今回は、たくさんの見どころの中でも、8月末に行われた全国源流シンポジウムのエクスカーションに参加した折の、「水木沢(みずきざわ)」の様子をお届けします。 「平成の名水百選」に選ばれた、水木沢の清流? 環境省により「平成の名水百選」に選ばれた、水木沢。景観の素晴らしさや水辺の親しみやすさもさることながら、地域一体となって保全活動に取り組み続けていることが、選考理由にあげられたそうです。長野、岐阜、愛知、三重をまたがる全長229キロメートルの木曽川から分かれた笹川の、わずか2.5キロの支流。その流域には、樹齢200年以上の木曽ヒノキやサワラ、アスナロ(ヒバ)、ネズコ、コウヤマキなどの針葉樹と、ブナを代表とする広葉樹の天然林が混交して生育しています。 神秘的な天然林の中を歩く スタート地点の管理棟では、無料で杖が借りられ
地域に尽くした父想い、「菅古道」の復活に取り組む − 野中杏一郎さん 長野県木祖村の菅古道(すげこどう)の復元をたった一人で始め、徐々に加わった仲間とともに、このほどようやく古道の復元を実現した、眼科医の野中杏一郎さんに話を聞いた。 ?「昔は親よりもじいさん、ばあさんに教育されてね。近所のお年寄りもよく可愛がってくれた。よその家のおやつも自由に食べてたし(笑)。人の子でも悪いことしたら、ちゃんと叱ったもんです」と語る野中さん。「そういう人たちが苦労して、この菅を発展させたのです」。 自ら藪かきをして、荒れ果てた菅古道を復元した野中杏一郎さん 郷里の長野県木曽郡木祖村の菅地区で、荒れ果てた古道の復元に取り組んで4年。「以前は木曽小馬(こま)がいっぱいいて、年に一度、馬市が開かれ、皆、菅古道を通っていました」。野中さん所有の山林際に私道と平行してあった、菅古道。ところどころで公道、私道が複雑に重なる。たとえ私道であっても道は皆のもの、という大らかな考えが、当たり前のように、野中家にも、村人や通行人たちにもあった。木々の間から見える里山の風景が美しくのどかで、人と人、人と自然とのつながりが濃かった時代―。? 長靴姿で熊手を携え、藪を掻き分けな
森と沢と里山の風景に出会える道 − 長野県木祖村の「菅古道」 暑かった夏が去り、皆さんお待ちかねの行楽のシーズンがやってきました。近場もいいですが、ちょっと足を伸ばして日本のヘソ、木曽川の源流のある、長野県木曽郡木祖村を訪れてみませんか?のどかな里山の風景や、燃えるような紅葉を眺めながらのハイキングが楽しめます。ここでは2回に分けて、8月末に行われた全国源流シンポジウムのエクスカーションに参加した折の、「菅古道」と「水木沢」散策の様子をお届けします。 ??? 歴史ロマンを掻きたてる石碑。86番の意味するものは?(左)? 荒れ果てた古道が復元され、木祖村の新たな観光名所となった菅古道。民蘇堂野中史料館の裏手にあるのは、“大宝元丑年” “11面観音菩薩像” “八十六番” と刻まれた石碑です。この存在は、地元のお年寄りしか知らなかったそうですが、古道復元に伴い、最近になって、797年に完成した続日本紀(しょくにほんぎ:日本書紀の次の勅撰史書)に記されているものと内容が合致することが判明したそうです。もしや、日本最古の憲法、大宝律令が制定された700年代に建てられたもの?・・でも、“宝”の字が新漢字なので江戸時代に建立か?・・との推測も。で
水を守る宿命から生まれた源流学 − 第9回全国源流シンポジウム in 木祖村(その2) 源流域、また上下流域の連携強化のため、2008年8月30日に長野県木祖村で開催された第9回全国源流シンポジウム。後半では源流地域の取り組み事例の発表に続き、パネルディスカッションが行われた。 事例を発表したのは、山梨県道志村長の大田昌博さん、栃木県湯西川ダム工事事務所長の佐藤寿延さん、奈良県川上村企画財政課長の坂口泰一さんの3名。 ? 村の中央を流れる道志川が、横浜市民の固有の水源となっている道志村。村は水源地としての役割を果たし、横浜市は村の自然環境を守り、村民の生活基盤の向上を積極的に支援する具体的な取り組みが報告された。例えば、横浜市が10億円、道志村が1千万円を拠出し、その運用益で村をサポートする「公益信託道志水源基金」や、横浜市水道局より出荷される源流水「はまっ子どうし」の売り上げの一部からなる「水のふるさと道志の森基金」、また市のニート対策として「横浜型若者自立塾」を村内に設立するといった新たな共同事業も紹介された。? ダムを活用し、地域全体がもうかるビジネスモデルを創出した国交省関東地方整備局湯西川ダム(2011年度に完成予定)工事事務所。日本初の長期間にわたる
源流から創る明日の日本 − 第9回全国源流シンポジウム in 木祖村(その1) 源流域の文化や歴史、人材の大切さを発信する「第9回全国源流シンポジウム」が2008年8月30日(土)、木曽川の水が生まれる源流の里、長野県木曽郡木祖村の木祖小学校で開かれた。名古屋市、日進市など下流域を含めた全国から参加者が集まり、上下流域の連携などが話し合われた。 実行委員長の澤頭修自さん オープニングの雅音人(がねっと)のコンサートに続き、実行委員長の澤頭修自(さわがしら・しゅうじ)さんが、「森は水の源・水は命の源・川は命のつながり」という今回のテーマを謳いあげ、共通の基盤に立つ源流域の参加者たちが活動の実態や悩みを出し合うことが、課題解決や地域の活力につながると強調した。 ? 長野県木祖村の栗屋徳也村長 また、木祖村の栗屋徳也村長は、「水源を守らなければならない源流域は、過疎化・高齢化・産業の衰退などにより、森林整備や環境保全に苦心しながら賢明に取り組んでいる」と源流地域が抱える諸問題に言及。上下流域が一体となった流域全体での連携の前進に期待をこめた。 ? 基調講演する作家の塩野米松さん 菅原文太さんのビデオメッセージの後、作家の塩野米松さんが、「木の文
甦れ、堀川! - 行政、市民が一体となった河川再生プロジェクト 名古屋堀川ライオンズクラブは創立5周年を記念して、「甦る堀川をめざして」と題し、松原武久名古屋市長による基調講演とパネリストによるシンポジウムを2008年4月12日(土)、名古屋市東区のテレピアホールで開催した。会場は立ち見も出るほどの盛況ぶり。市民の堀川に対する関心の高さがうかがえた。 ?????????????????????????????? 松原武久市長 堀川は、名古屋市の中心部を流れる16.2キロの人工河川。堀川誕生のルーツは、名古屋市の街づくりと重なる。1610年、徳川家康は、清須城が手狭になったため名古屋城を新たに建設し、清須(現在の愛知県清須市)から町ぐるみで名古屋の地に移転したが、名古屋城築城の資材運搬のために作られたのが、堀川だ。 かつては清流だった堀川を昔の美しい川に甦らそうと、名古屋市も浚渫(しゅんせつ)などの努力をしてきたが、それを大きく後押ししたのが、国の環境基準で水質Aランクの木曽川から水を流すことが浄化の決め手と信じ、ライオンズクラブが行った「堀川を清流に!」の20万人署名運動だった。松原市長は「法律上では、利水として水道・農業・工業用水しか
水の街 名古屋 水の道 江戸時代 名古屋城が 築城された当時、城下の 水は、 ほぼ 湧水や 井戸水で まかなわれていた。名古屋台地は、 東の 丘陵部から 西に 向かって いくつかの 水脈が流れ、 北区の「清水」とか東区の「泉」という地名に象徴されるように、 水の豊かな 地帯であった。今もあちこちに 「泉」「池」「古井」「萩(水ハケ)からの変化」のつく 地名が 示すように 水の豊かな 台地でした。 名古屋城の 北の 御深井(おふけ)もまた 水の 湧き 出る地で あったそうです。名古屋の 西方面に 人口が 増えるようになり、 水に 困ることになり、2代 尾張藩主 光友は、寛文3年(1663)、 庄内川から 名古屋城まで 水を引き、その水を 上水として 供給するよう 御用人・小瀬新右衛門らに 命じました。名古屋城の お堀に 水を 引く 為だけでは ありません でした。 それが、竜泉寺の南(現守山区)の 庄内川から 水路
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